残暑は 厳しい といいますね。 どうしてでしょう。
暑い という言葉は、暑くない という状況を必要としますよね。
どこか、一日目に書いた話と同じようで申し訳ないのですが、何か自分の意見を持つと、必ずそれに対立する意見が出てくるわけです。
という事は
発言、発信、主張を強く行えば行うほど、誰かを強く否定することになるのでしょうか。
うーん
例えば、芸術の様にそれぞれが独立している場合は、あまりそのような状況にはならない気がします。ただただ、在ることが好きか嫌いか。 それだけです。
(あまり政治の話に持っていくのは好きじゃないのですが)国会を見ていると、意見が一つしかないですよね。与党が意見を言う、野党が反対のことを言う。 (勿論それは、国会が責任分散の場であることを考えれば至極当然なのですが)
でも、Centrismというのも、難しい話ですよね。
仮に、様々な意見や価値観を理解し、受け入れたとして、きちんと自分というものが保てるのか。
抑々、これは自分の意見だ というのはどのように決定されるのでしょうね。
様々な具体的理由が集まり、昇華されて抽象的な感情になっている気がします。 
そうだとしたら、感情という無意識の中で判断され、想像されたものであるから、(最終的には)理屈など存在しないはずです。そのような中で、自己を厳然たる姿勢で打ち出さなければいけないというのはストレスフルな状況ですよね。
自分 という言葉は、自分ではない(他人) という状況を必要とする。今は、主張を避けて、様々な人の意見に触れ続けたいと思っています。
よく、自分の意見を持てと言われますが、私は、そうやって確固たる自己を確立するより、もっとフレキシブルになるべきだと今は考えています。
#141 x2007
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