「時間の厚み」

今日は、京都に行ってきました。
所用のため、少しいただけですが。
京都は僕が大学時代を過ごした場所です。
大学に入る前から京都に憧れがあったため、
行けるとわかったときは大層うれしいものでした。
実際住んでみれば、なんてことはない、
平凡で退屈で貧相なものだったのですが。
それでも、出町柳の駅を出てすぐ西に進むと見える鴨川を見るたびに、
どこからかフワッと思い出のようなものがよみがえってきます。
なつかしい感じのものです。
記憶というものは、実際より美化されて蓄えられているそうで、
もしそうだとすると、僕の京都に対するそれも、
「良かったもの」へと強化されているのかもしれません。
昨日、次のような文章を読みました。
我々のかけがえのない「いのち」を、
より個性的に輝いたものとして活性化させるためには、
主体的な「時間の厚み」体験を、
より豊かにすることからしか始まりはない。
(幼年の「時間(とき)」/牛腸茂雄)
確かに京都では少ないながらも、よい思い出もありました。
思い出は、体験した場所と人に結びついています。
今もそんなに充実した毎日とは決して言えないです。
が、久しぶりに京都に行ったことで、
少しだけ「時間の厚み」を取り戻せたような気がしました。
#148 毛利 「日々」 http://molly.petit.cc